
タイトルのこと、どれも経験のあるたけなわアヤコです。
が、結論から言えば、今こうしてかなーーーり幸せに生きているので、いけないことではないんじゃない?と思うんですよ。
ただ、私はこれらをどれも、「辛くて苦しくてどうしても無理だった」から、終わらせたものであったりします。
今回の記事は、私と同じように「辛くて苦しい思いをしている人が少しでも楽になってもらえたら」という思いと、
そんな人に対して、「常識を振りかざしてやめたほうが良いという人へ疑問を投じたい」思いだったり、
「やりたいことがほかにあるからと、今現在の楽しさを捨てようとしている人に今一度考えてもらいたい」という思いを詰め込んでみました。
辛くて苦しい思いをしている人へ
なるべく早く止めて欲しい
周りの辛そうな人には口を酸っぱくして言っていることなんですが、「辛さの限界を超えて、精神を壊したら、いくら休んだって元には戻れないぞ」と。
実体験、私はキレやすくなりました
それこそ、私は元々、かなり楽天的で社交的でキレることなんて早々ないポジティブの塊でした。
が、両親の度重なる喧嘩が目の前で繰り広げられる中、たった一度だけ、まさしく堪忍袋の緒が切れたようで、キレたんです。
感情のままに普段は使わないような汚い言葉も喚き散らして、泣いて。
それ以来、このときのようにコントロールできないほどにキレてしまったことはありませんが、とにかくイライラしやすくなり、生きづらくなったと感じています。
元々は全然イライラしない性分だったのに。
疲れやすくもなる、打たれ弱くもなる
イライラが一番ですが、そのほか不安や焦りといった感情もコントロールしにくくなったほか、ちょっとのことで疲れたり、落ち込んだりもしやすくなりました。
ゲームをする人なら分かってくれると思うんですが、HP半減、防御弱体、毒などのデバフがずっと残り続けるんです。難易度が凶悪過ぎでしょう……。
今はそんな自分の扱い方を知り、そもそも無理をしない生活を心がけていますが、やっぱりときどきは「昔はこんなじゃなかったのに」とどこにもぶつけられない憤りを感じます。
はじめに精神的に打ちのめされた時から考えるとどう20年。それだけ経っても元には戻りません。
逃げることはひとつの選択肢、悪いことじゃない
世間一般では初志貫徹が良いとされ、途中で止めることを「逃げ」だと、悪いことだと叩かれることが多いでしょう。
私もずっとその常識に縛られて、辛くても自分に鞭を打ち続けていました。
でも、あるときカウンセリングをくり返し受けている中で、ふと
「逃げることは悪いことではないんじゃないか」
「逃げることも立ち向かうことと同じ、ただのひとつの選択肢でしかないんじゃないか」
と思えたんです。
辛い=そこは向いていなかっただけ
上記のような経験から、今、辛い環境に身を置いている人には、同じような思考を持ってほしいと切に願います。
辛いなら逃げていいんです。
辛いと感じるのはあなたが弱いからではありません。あくまでその場所があなた向きではなかっただけのこと。
生活が……とか考えてしまうことは色々あるかもしれませんが、生きてさえいれば仕切り直すことはいくらでもできます。
退学、退社、離婚すべて経験しても、今、幸せな私がそこは断言します。
大丈夫。意外とこの世の中、なんとかなります。
辛くはないけど止めたい人へ
辛くないのに止めてしまうのはもったいないかも?
最近、一部で「大学なんて辞めて、自分のやりたいことで稼いでいこうぜ」ということが話題ですが、学校や会社に通うことが辛くないなら、やりきってもいいんじゃないかなと思います。
若い頃の時間を無駄に使うなんてもったいない、という意見も一理あるとは思いますが、なんてことなく過ごす日々も、全くの無駄になるなんてことはないでしょう。
一般的な経験と特殊な経験の違い
たとえば、私は高校を中途退学して、その後、自分で稼いだお金で改めて入学し直しています。
が、入学後も稼ぎながら授業料などを支払っていたこともあり、金銭的な事情から修学旅行などのイベントには参加していません。
この話をすると、「大変だったね」「偉い」と評価されるかもしれませんが、言ってしまえばそれだけです。
「修学旅行どこいった?」「私は○○」「私もそこだった!楽しかったよねー、あそこ行った?」なんて話は私にはできません。
このように、他人が当たり前にしていることをしていないと、他人と共有できることが少なくなります。
そして、私はこのことをフリーランスとして働く上での自分の弱点だと感じています。
フリーランスなら特にどちらの経験も必要
特殊な経験は尊敬を呼び、一般的な経験は共感を呼びますが、社会で上手くやっていくにはそのどちらもが必要不可欠でしょう。
特にフリーランスとしてやっていくのであれば、尚更です。
また、待っていても仕事が勝手にやってくるような特殊スキルを持っているのであれば別ですが、そうでないなら「苦手がない人」のほうが重宝がられるこの世界。
苦手をなくすためにも、一般的な経験は最低限あったほうが良いと私は実際に働いている中で感じています。
苦しんでいる人の決断にNGを下してしまいがちな人へ
つい常識というあなたの偏見を押し付けていませんか?
特に私がなんだかなあと思ってしまうのが、「子どもが可哀想だから止めたほうが良い」「親が可哀想だから止めたほうが良い」という言葉。
私は親の離婚も経験していますが、私からしたら「もっと早く離婚してもらいたかった」ぐらいです。離婚が遅くなったことで無用に傷つけられたとも感じています。
あなたの言葉でより苦しませているかもしれません
当事者でないあなたには推し量ることのできない世界があることを忘れないでください。
そのような世界へ理解を示さず、自分の偏見を押し付けるだけのNG発言は、無責任でしかありません。
この言葉によって、真面目な人は決断を考え直してしまうかもしれません。自分は最低な人間なんだと責めてしまうかもしれません。
苦しむ人にそんなことはしないであげてください。理解できないならせめて何も言わないで。
退学、退社、離婚はいけないことではないよ
退学も退社も離婚もすべて選択肢でしかありません。だから、それを決めた時点では良いことでもなければ悪いことでもありません。
ただ、辛いなら、私は止めてほしい。
止めて、自分がもっと楽に素敵に生きられる場所を探してほしいです。
辛い訳じゃなく、何かがしたくて止めるなら、一度考えてみてほしい。
平凡でつまらないかもしれない。そんな普通の日々も、いつかあなたを助ける経験になるかもしれません。
止めるにしても、止めないにしても、大丈夫。
逃げても失敗しても休んでも、大丈夫。
なんとかなりますよ。
どの選択を選んだにしても、「あの選択肢がベストだった!」と振り返って思えるほど幸せになってやりましょう。
そうすれば、その選択はすべて良いことになるのです。